2011年5月23日月曜日

しもたま柔道&闘病日記-その28-

しもたま柔道&闘病日記-その28-
看護師がストレッチャー(寝台)を運んでいく。午前9時半、麻酔開始。手術室に運ばれ、マグロのように転がり足を広げている患者。10時半、手術開始。患者の上半身は麻酔医達にしか見えない。助手の医者が、足を持ち上げ、手術中に動かないよう固定する。彼はその後、左足の足首をつかみ続ける。すでに再建手術をするつもりで準備を済ませているスタッフは、ブラックジャックのような岩崎医師の魔術を見落とすまいと神経を集中する。岩崎医師は膝の上下左右に3ヶ所、一文字の1cmくらいのメスを入れ、内視鏡で中を覗く。靭帯と半月板の状態は?暗いトンネルを抜けると、明るい関節の中にたどり着く。ピンクの組織の中に、白い三日月型のかたまりが2つみえるが、1つは少しささくれているようだ。奥にやはりピンクの縦長のすじが二本、交差している。器具を引っかけてみる。MRIの検査どおり、靭帯は切れているのか。それとも、ゆるんでいるだけなのか。ピンク色のすじは、延びたゴムのようにたわんで、やはり靭帯は切れている。続いて、白い固まりのほうに向う。半月板だ。表面を押してみたり、ささくれをつついてみたり、弾力性やひびの割れ具合を確かめる。けずるか、それとも切り取るか。岩崎医師は手際良く調べていく。半月板は、削って縫うことにしよう。その間約15分だ。
ひび割れた半月板を再度傷つけてから、軽やかな指で器用に細い針で縫い閉じていく。まだ、手付かずのきれいな膝関節。まだ浮遊物も少なく、画面が見やすい。これは、20分ほどかかる。いよいよ、再建手術に取りかかる。筋肉の加工と骨に穴を開ける作業を同時に行う。まず、ひざ下に5cm程の切れ目が入れられる。そこからメスを使って、腱にそって筋肉ごとに剥離していく。狙いは半腱様筋(はんけんようきん)だ。いくつかの筋の束から、半腱様筋を確認する。「これは細すぎる。薄筋も両方使おう」。他の筋を傷つけないよう注意深く2本の筋肉の一部を取り出す。そのまま使うには長い。筋肉は、すぐさま折りたたまれて、短くて頑丈な2本の「靭帯」へと造り替えられていく。その間、5cmの傷のところからメスを使って、すねの骨と皮とを剥離していく。また、太ももの皮を肉ごと2ヶ所つまんで、膝の上の穴からも、大腿骨と筋肉とを剥離していく。すねの骨や大腿骨が露出すると、脛の骨に直径6mm程度のトンネルを2本、さらに大腿骨にも57mm程度のトンネルを2本開けていく。骨の粉が組織に残らないよう、慎重に取り除く。新たに加工された「靭帯」が届くと、内視鏡の穴を利用しつつ、トンネルの中にピンセットなどの器具で巧みに誘導し、大腿骨の表面の出口で、それぞれチタンのボルトで固定する。2本の筋は、まるで本物の前十字靭帯のように、2本の上部がYの字を描くように分かれてひざの中を走る。
そして一番重要な作業がやってきた。新しい靭帯の牽引だ。この筋の引っ張り具合が、手術の成功を決めるといっても過言ではない。引っ張りすぎると、ひざは曲がらない。あまりゆるいと、靭帯をつけていないのと同じになる。微妙なさじ加減は、芸術といってもよい。センスを要する手術なのだ。岩崎医師は、患者の膝の角度を0度に伸ばし、新しい靭帯のテンションを決めて固定する。脛の骨のトンネルの入り口に、チタンテープが張られ、靭帯は両端とも完全に固定される。靭帯の付き具合を内視鏡で確認し、4つの入り口を順々に縫い閉じて終了。時刻は12時半。約3時間の手術はこうして無事に終わる。

私は、ストレッチャーの揺れを感じながら、まるで朝が来たように浅い眠りから目覚めようとしていた。薄っすらと目を開けると、長い天井のあいだに建物の継ぎ目が見えた。なんだか、外に出たように涼しかった。やがてエレベーターに入っていったようだった。エレベーターが降りていく。チンとエレベーターがなると、そこは見覚えのある1階のレントゲン室だった。手術は終わったんだ。なんてあっけないんだろう。撮影が終わると、ストレッチャーは再びエレベーターへと運ばれ、5階の懐かしい病室へとついた。また、うとうとと眠気が襲ってきた。
次に目覚めたときは、医師の術後説明だった。夢うつつの中、手術はうまくいったこと、半月板は取らずに縫ったことをおぼろげに聞いた。また、眠りに落ちて目覚めると今度は、看護師がやってきた。「足は動かせますか?」と聞くので、試してみる。膝は動かないが、足の指がきゅっきゅっと簡単に動いた。成功が目にみえて嬉しい。ただ、高枕に固定されていた首と肩は、なぜか事故のむち打ちのように傷み、全身が何かに縛られているようにあまり動かせない。その時は知らなかったが、点滴の針に心電図、尿のカニューレに下半身麻酔のチューブ、膝のドレーンを溜める袋まで、体のあちこちにいくつもの管があって、動ける状態ではなかった。 背中の麻酔のチューブは、麻酔薬の入った注射器型の筒につながっていた。2~3日くらいかけて少しずつしみ出して、足にだけ効いてくれるそうだ。まだ、麻酔が効いているらしく、少し起きるとまた熟睡してしまう。夕方水をのみ、お腹が動いているのを看護師が確認する。食事の許可が出た。6時に夕食がやってきた。サバの煮付だ。今日初めての食事。うれしくて、1合のご飯共々きれいに平らげた。
 義妹らは一緒にお昼にタイ料理屋で食べて来たという。この、タイ料理屋はタイの地震と津波のあと、閉店してしまい、ついに退院後に食べにいけなかった。いいなあ。早く良くなって、病院を抜け出して食べに行きたいなあ。それも生ビール片手がいいなあ。手術直後というのに、もう、食べ物と酒のことを考えてしまっている、食い意地の張った私だった。そして有限会社の義兄が泊ってくれ、夜中まで熟睡したのだった。手術の成功と裏腹に、これからが本当の不自由な闘病生活の始まりだったことは、知る由もなかった。

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