2011年5月11日水曜日

しもたま柔道&闘病日記―その6―

しもたま柔道&闘病日記―その6―
そういえばまだ、自己紹介をしていなかった。菰池 環(こもいけたまき)は、生まれも育ちも大阪市内。和歌山県の有田川町の有限会社(果樹園)で働いている32歳である(2011年現在は転職してこれを執筆中)。これでも、れっきとした有限会社の社員、「社会人」であり、ミカンの忙しい11月~12月は、どんなに趣味の山や柔道を愛していようとも目もくれず、50日ぶっ通しで仕事の鬼と化して、もくもくと働いている!ピーク時には、朝7時から夜の10時までみっちりと肉体労働が続く。そんな一年で、最も大切な稼ぎ時が年末である。有限会社は基本は月給制である。が、しかし、会社が儲かるのは、夏と冬の年に二回。冬が一番儲かって、収穫すればするほど金が入ってくるので、身体は苦しいが商売としては一番面白い時期である(むしろ夏の摘果の方が、せっかく実った花や実をむしりとる上、やってもやらなくても成果がその場で目に見えてこないので、心身ともに苦しい作業である)。
あほうな私は、大切な収穫開始の直前に、足の指を草サッカーで骨折してしまい、包帯ぐるぐる巻きで畑を這いずるはめになっていた。サッカーにしろ、柔道にしろ、うまいやつとやると身のこなしがうまく怪我をしないが、素人と真面目に試合形式でやると、お互い勝ちに行こうとして思わぬ怪我に巻き込まれることが多い。収穫日の前日に、京都大学で学生達と草サッカーをしており、スライディング時にかかとで足を踏まれた。右足母指をポキッ!という、この自業自得の怪我とお仕事のため、当分柔道は出来ない運命。ああ歯がゆい。なぜ、歯がゆいかって?そりゃそうでしょう、「大人」というのは忘れやすいんですよ。覚えるのに時間がかかった割に、さっさと忘れてしまう。「このまま一ヶ月半の間、なんにも練習しなかったら、かなり下手になっているはずだなあ、来年はまた、一から覚えるんだろうか」と、不安に思う日々だった。このさみしい50日が、私のぎこちない柔道がゆっくり発酵してゆく大切な期間になろうとは、この時は知る由もなかったのである。
思えば骨折をして1週間後のあの出来事が、きっかけではなかろうか。近所の道場との合同練習があった日の事。まだ、さほど忙しくなかったこともあり、短時間、見学に行った。他道場の小柄な少女が、目の覚めるようなきれいな背負いをかけているのを見た。腕を後ろに大きく振り、弓なりにそった背中をねじれるようにひねってかがむ、全身をばねのように無駄なく使う美しい動き。背中がぞくぞくするような柔道だ。「背負い投げって、背負ってから投げるものだったんだ!」彼女の技を見て思った。何を当たり前のことを言ってるんだいと、笑わないでほしい。私にはこの発見は目からウロコだった。他の技を全く知らなかった、1年前は、変な癖がつくこともなく、超スムーズに背負って投げていた。しかし、10ヶ月間、道場に通い習ううちに、他の技とごちゃごちゃになって、我流の癖がついてきた。近頃は「昔の方がうまかったね」と言われる始末。そんな折、彼女の背負いは、私のイメージトレーニングに最適だった。ザックを片手で肩に背負うように、ひょいと乗せ、重たい斧や鍬を打ち下ろすようにどすんと投げ込む。野球の遠投のようなダイナミックな彼女の動きが、映像となって目に焼き付いていった。
こうして背負いのイメージトレーニング(動画のボディイメージ)を積んだあと、家に帰って自分でやってみると、今までの変な癖や無駄な力が抜けて、とてもスムーズに動く事ができた。せっせと休まず体を動かし、練習を続けるのも大事だけど、人の練習を見て考える時間も同じくらい大切なようだ。岩登りなんかでもそうだが、小柄な私が、長身の人や筋肉ムキムキの人を見て、参考にしようとしても、真似が難しい。一般に、自分の体力や体格、レベルと近い人が、自分よりも優れた動きをしているのを見た時、「なあんだ、もうちょっとで私にもできそうじゃん!」てな気になってくる。小柄な彼女の背負い投げは、凡人の私でも努力すれば手の届きそうな感じがして、タイミングや動きのこつがわかりやすかった。確かに、一流の試合を見るのは、自分の目標を高く持つためには、けっこう勉強になる。サッカーの場合は、パスなどの戦術のイメージトレーニングに利用させてもらった。しかし、柔道の場合、国際ルールの一流選手は、ポイントを稼ぐ柔道で美しいフォームの参考になりにくい。さらに、高度なしかけ技をあまりに簡単にしすぎてて、何が簡単で何が難しいか、さっぱりつかめない気がする。
われらが滝川道場の練習では試合形式の練習が多く、「打ち込み」練習は自主性にまかされることが多い。「打ち込み」というのは、2人で行う立ち技の練習方法の一つで、同じ形の技を繰り返しかけて技の動きをマスターするものだ(最後まで投げきると、「投げ込み」練習と呼ばれる)。私が「打ち込みしたい」と子どもたちに言っても、悲しいことにあまり歓迎されないのである。どうやら、私の打ち込み練習は、ストレス発散とばかり力任せに行うため、相手をひどく疲れさせるらしい。体力差がありすぎるのだ(このため、後には、大谷3段、本地2段らと打ち込みをすることになる)。ちなみに、昔の子供たちは、どんどん自分から打ち込み練習に励んだそうだ。彼らは疲れすぎないように上手にやっていたのだろう。そういえばサッカーでも心当たりがある。仲間は上手に手を抜いて練習していた。しかし、「いのしし」たまにはそれが出来なかった。普通の練習でも、相手をかわす、かわされるでむきになるため、チームメイトに煙たがられたことがあった。熱くなる性格はなかなか変らないようだ。
脱線したので柔道に話を戻そう。昨年末に、少し収穫作業が暇になったので、道場の練習に復帰した。久しぶりに会う子供たちは、みるみる背が伸びて、体重が増え、目にみえて柔道が上達していた。「さぼっていたからきっと筋肉痛になるだろうなあ。体が慣れるまで、しばらくは打ち込み練習くらいにしておこう。保護者と一緒に子ども達の成長を見ているのもいいもんだ」などと、のんきに構えていたら、滝川先生が厳しい顔でこうおっしゃった。「まず、そいつと打ち込みをしろ」「終わったら、みんなの練習に加われ」。前みたく動けるかなあ。また、怪我しなきゃいいけど。頭ではそう考えたけど、この50日間、練習がしたくてしょうがなかったので、体のほうはやる気満々。「先生、今日はまだフルで練習できません」と言いそびれて、たちまち普段通りの練習になってしまった。収穫の疲れもあって、ぼろぼろかと思いきや、10月よりも調子よく、動きはさらになめらか。さぼってたのに、なぜ???ミカン箱をせっせと運んでいたのが、筋トレになっていて、筋力がアップしていたのかもしれない。そして、あの少女の背負いというイメージトレーニングの成果があったのかも。なぜだか訳はわからないが、空白の50日は私にとって無駄ではなかったようだ。だがもちろん予想通り、32歳という年齢に見合ったころに、筋肉痛に襲われたことはいうまでもない(大人の場合、練習の前のストレッチやウォームアップは大切であり、50日もブランクがある場合、打ち込みから少しずつ復帰すべきである)。
「よし、2月の試合は行けそうやな!」と、先生のお言葉。今度は怪我をしないで、とにもかくにも参加することに意義を見出そうと思うのであった。経験積んで、めざせ黒帯び!

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