2011年5月15日日曜日

しもたま柔道&闘病日記―その11―

しもたま柔道&闘病日記―その11―
思えば「柔道はじめました! 」の年賀状で始まった昨年。2級をとり、茶帯びを巻いた柔道のイラストを描いた暑中見舞い。その後、1級を取り、計3回の昇段試合を経験した。「どうしてこの歳(32歳)になって、柔道なんや?」と初めは言われたけれど、めざせ黒帯び! 何度もくじけそうになりつつも、なんとか今日まで続いている。それもこれも、あったかい道場の雰囲気と、いつも応援してくれる家族がいたからである(しみじみ)。
この一年半で、私と私を取り巻く環境は、大きく変わったように思う。もちろん山の会(和歌山県勤労者山岳連盟、紀峰山の会)で、紀伊半島の山々と親しくなり、大自然に癒されたこともあるだろう。しかし、人間はやはり、人との付き合いの中でしか癒されない部分もある。仲間を信頼したり、仲間から必要とされたりして、ようやく私は生きているなあって思うのかもしれない。柔道を通じてたくさんの中高生と知り合い、道場の子ども達や保護者とのつきあいが増え、世代や地域を越えて、世界が明るく広がったのは大きかったと思う。和歌山に来たばかりで、会う人(しかも、ほとんどが果樹園関係者!)全てが初対面だった7年前には、考えられない環境だ。道場で今、私は子ども達にとって、学校や家庭ではめったと出会わない、家族でも先生でもない第三者のおとな、「不思議な?おとな」の位置に、落ち着いている。たった1年半の間に、ある子どもは思春期に入ってゆき、悩める中学生に。ある子どもは思春期が終わり、キャピキャピ女子高生に。みるみる心も体もどんどん大人になっていく。彼らは忙しい。友達と語らい、恋をし、生きる意味を探り、自分の限界を知ろうとする。大人の1年はあっという間だが、子どもにとってはとても長い期間であることを、子どもたちの成長ぶりを見ていると、否応無しに感じさせられるのだった。
今どきの子ども達の世界は忙しい。勉強でもスポーツでも、すぐに結果を出すことが求められている。時々、そんな子ども達に同情してしまう。ある時、私がいつまでも茶帯びを巻いているのを見た人が、「ちゃんと昇段試合に行ってるんかぁ~」と怪訝そうに尋ねてきた。悪気は無いとわかっていながら、その言葉にあまりいい気持ちがしなかった。その反対に、子どもの帯びの色が変ったときに、「昇級よかったね、おめでとう」ではなく、「帯びに負けている、もっと頑張れ」と、はっぱをかける人達もいる。どちらの言葉も子どもたちが聞いたら、傷つくことだろう。帯びを取っても取らなくても、プレッシャーをかけられ、叱られ続ける子ども達。大人達は勝手で言葉に無責任だ。幸運な事に、滝川道場では、伸びの目立つ子も目立たない子も、結果のすぐ出る子もでない子も、プレッシャーに強い子も弱い子も、みんな同じように温かく見守られている。道場の雰囲気があったかいのは、その所為かもしれない。
ちなみに私がまだ茶帯びなのは、怪我もあり農繁期もあり、しかも子どもの大会には出られず、点が貯まらないだけである(いい訳?!)。もちろん私とて、少しでも若いうちに初段をとっておきたいなあとは思うが(本音!)、早く取りさえすれければいいという訳ではないだろう。黒帯びは最終ゴールではないのだ。黒帯びを取ったら、小さな子どもや保護者に一目置かれるかもしれないし、同じ初段の人に、真面目に練習してもらえる利点がある。だが、黒帯びには得体の知れぬ重みがあり、中身が伴っていないと肩身が狭いばかりだ。山の会でも、入ったばかりの時は、いろいろ聞きやすかったが、最近は余り登っていなくてますます教えを請わねばならないというのに、かえって聞きづらい。黒帯びになってから今さら、初歩的なことを質問するのは憚られる。それに、もし、私が黒帯びを巻いたなら、私を知らない人は、かつて柔道をやっててブランクのある大人と誤解する可能性が大だ。「昔やってたわりに、なーんだ下手だなあ」「こいつセンスないなあ」「もう歳だから体作り中心で、さほど熱心ではないだろう」白帯びを巻いていたら教えてくれたはずのことを、遠慮して教えてくれないかもしれない。経験が浅い私の場合は、修行を積む上で、白帯びのときより不利なことが多そうだ。柔道を始めてすぐの頃、子どもたちは親切にいろいろ教えてくれたものだ。私が柔道の事を何も知らず、白い帯を巻いていた頃は。しかし、帯びの色が白から茶色へと変ってくると、私を「面倒を見てやる相手」とは思わなくなったのだろう。かつての「先輩達」は、徐々に私に構いに来なくなった。寂しい。もちろんその代り、私のあとに入ってきた「後輩達」は、いろいろ質問してきて、慕ってくれるようになった。
私から見ると、段はさておき、級と上手さはさほど比例していないように感じる。年齢が低いために実力よりも低い級にいる子もいれば、日頃の努力が評価され、高い級にいる子どももいるからだ。あの子はじっくり育てたい、先生がそう思われると、あえて高い級は受けさせていない。しかし、子どもや親の間では、級の評価は絶対評価。あとから入った子が出世しただの、昇級に一喜一憂している。柔道に限らず、バレエやピアノや、子どものお稽古事はみなそうなのだろう。
いっきに5/25の昇段試合の話へと進む。これで4回目となった昇段試合は、5人中4人が左組という、面白いリーグで闘った。1人目は右組、10月の田辺の試合であたった小柄な相手。その時とまったく同じ開始早々の初戦というシチュエーション。相手は、過去の結果を覚えていたのか、最初から及び腰で、監督に「怖がらずやってこい」と叱られていた。相手も半年経つうち上手くなっていて、簡単には倒れず、ようやくつぶして袈裟がためで1本とった。リーグ中で一番弱いはずの相手に苦戦して、この先の戦いが不安になった。2人目は左組。今回用意してた技、「大内刈から左の背負い」や必殺「右の一本背負い」が、右組対策で、左組に通用しないことを、組んでから気付くありさまだった。困った私は強引に、右の一本背負いをしに、左へ2~3歩すすんだ。すかさず相手に、左の体落しをかけられた。「それは私が決めるはずの、私の得意パターンや!」どんと肩が付いたが、幸運にも審判が「技あり」を取らず、助かった。その後、寝技バトルになったが、どっちも決め手がなく、引き分け。同じ引き分けでも、判定なら負けている、内容の悪い引き分けであった。3人目は4月の昇段試合の3試合目にあたった、私がそのまま中学生になったようなタイプ、やはり、4月と同じく「技あり」以上を取れない。私の方が力が強く、寝技にも持ち込んで押していた試合だったのに、またもやくやしい引き分けとなった。4人めはすでにこのリーグで3連勝の最強、長身、しかも高校生。私に勝ち目は少なかった。滝川先生がおっしゃる。「相手は、左の大外刈りでくる。引き分けたら、9.5ポイント。昇段の審査に掛けられる」よし、引き分けてやる! 私はいっそう気合いを込めて勝負に挑んだ。相手は闘う前から4連勝のつもりか、連勝に調子付いて慢心そうに見えた。しかし、普段大きな相手と練習している私、相手に大外刈りをかけさせないように、攻撃をかわし、しっかりとつっぱって防ぐ。勝負つかず。相手の顔色が変ってきた。「むむっ!この人、高校で始めたばかりで大外刈り以外、何もできないんじゃあ、、、もしかして、こっちから技をかけても大丈夫かも!」そう考えた私は、体落しや背負いに持って行こうと、突っ張っていた手をゆるめた。すかざず相手は、私の奥襟をつかみ、ぐしゃっと引き寄せると、その長~い左足を私の左足に引っかけた。来たぞ、大外刈り。下がればかわせる。運が良ければ返せるかも。だが、慣れない左の大外刈りに、私は投げてくれといわんばかり、とっさに右足のほうを、下げてしまった。「ああ、阿呆な私」。ドン!一本!審判の声とともに、黒帯びは無情にも遠ざかっていった。
112分け。しかも、試合内容は4つとも先月の試合より悪い。ふりかえってみれば、一番最初の10月の昇段試合が、一番内容が良かったのではないか。あれだけ緊張してめちゃめちゃだったにもかかわらず、21分けだった。まさか段々下手になっている?成長してないってこと? 今日の試合は結局2点。これまでの合計は9点。次の昇段試合では、もっと下手になっているかもしれない。あと一点と思ってなめて、全敗することもありうる。ああ、10点ではなく9点。足りない。足りない。あと一点。がっかりしてとぼとぼと家に帰った。傷の痛みが、やたらと身にしみるのであった。あの時ああしていたら、こうしていたら、そんな事を悔やみながら、今にもやけ酒をあおろうとした、まさにそのとき、電話が鳴った。滝川先生の奥様、淳美さんからであった。「いまねえ、先生、まだ(試合会場の)田辺なんやけど、合格したから手続きしに、6時ごろ印鑑持って道場へ来てて、、、」ん???合格?狐につままれた気分である。これから、親戚と残念会の焼肉をつつくことになってたが、目の前のギンギンに冷えたビールと山盛りの牛肉を尻目に、先生宅へと向う。「合格おめでとう!」と淳美さん。まだ、信じられない。
先生曰く、試合後にいちおう審査に掛けて下さったのだそうだ。たった0.5点足りないならともかく、1点も足りないのになぜ? けげんそうにしていると、滝川先生が「おまえのこと、他の先生らよう知っとったぞ。審査に掛けたら、皆が、ああ、あの、、、言うてた。」と、にやにや。これまでの対戦相手、10人ほどの子どもらの先生方である。「あの、おとなの!」と記憶していたのか、はたまた、「あの、いのししかいな!」と印象に残っていたのか定かではないが、どうも、中紀や南紀の中学高校で私は「有名」らしい。満場一致ということかしらん、と、善意に解釈して、ありがたく頂戴することにした。「黒帯び」しもたまき誕生の瞬間である。   

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