2011年5月17日火曜日

しもたま柔道&闘病日記-その17-

しもたま柔道&闘病日記-その17-
柔道界や医学界には、小説やテレビドラマもどきの、人間ドラマが繰り広げられている、この柔道日記もある意味、社会派ドラマかのようだ。最近(2003年)、テレビドラマに古い医学界の体質を指摘した小説がリメイクされたが、テーマが今でも決して古くない。
カナダ人のドーンさんの登場で、ますます活気が出てきた滝川柔道場。子ども達は明るく練習熱心になった。特に、5年生で支部の大会に優勝した男の子は、体重が80kgぐらいあり、40kgぐらいの同級生は相手にならず、かといって黒帯とでは差があり過ぎて練習相手がいなかった。しかし、ドーンさんという、同じような体格で、同じようなレベルのライバルを得て、めきめきと上達していた。私はといえば、冬眠から覚めたクマのように、果樹の収穫作業一色から解放された12月末。さあ復帰しようとしたとたん、ドーンさんはスリランカにボランティアに行ってしまい、道場もすぐに冬休みに入り、柔道ができなくなってしまった。しかし、近所の高校でする手があるのだ!収穫直前の状態に復活するぞ!と気合いを入れて出かけた。ところが、高校の柔道部はいつもなら1231頃までみっちりやっているはずなのだが、今年に限って年末年始が数日間も休みだった。私の柔道がしたいという思いは、乱取りをしなくなった11月から2ヶ月分くらい溜まる一方であり、欲求解消を今か今かと待っていた。でも、「きっとこれも急に柔道をして体を壊さないための神様の計らいかあ」と気を取り直し、そう思って、誰もいない体育館で、ひとり受け身や打ち込みをしていい汗をかいた。まさにちょうど帰ろうとした時、顧問の先生が偶然に来られて、「(2004年)1月2日に、OBが来て初稽古があるが、どうや?」とのお話。すっかりうれしくなって、そのあとは1/2に向けて、家でトレーニングを続けていた。
2日の当日は、高校生やそのOBの他、地元の中学生も来ていてとても賑やかであった。まず、最初に年始の挨拶の後、皆でお神酒を回し飲みした。すきっ腹であった。打ち込みは小柄な中学生とみっちりやった。寝技も、その中学生と練習し、そのあと高校生とOBの女の子としたが、いつになく絶好調で、つぎつぎと技を繰り出す事が出来た。体もすっかり暖まった頃、OB対現役の十数人規模の団体戦があり、皆で観戦した。いい試合が多く、体の使い方など勉強になった。見終わった頃、すっかり体が冷えていた中、いきなり激しい立ち技の乱取り練習となった。お神酒で身体が暖まり、汗を書くほど運動した後に、今度は胡坐をかいで長時間、氷点下近い板の間の上に座っていたため、身体の心から冷え切っていたと思う。あわてて柔軟運動をしたが、体表面しか暖まっていなかった。関節の内部は、冷え固まっていたのだ。さあとOBの1人と組み合ったのだが、ものの1分もしないうちに膝を捻挫してしまった。そのOBもやはり寒かったのだろう。大技をかけるよりも、しがみついて捨て身で寝技に持ち込むことばかり考えており、大外刈りを掛ける振りをして、河津掛けで外から内へ足を巻き込み、そのまま、体重だけで倒れればよかったものの、全身を弓なりにそらせて、刈りきってしまった。つまり、大腿部を上半身で固定しながら、背筋を使って、膝から下を曲がる方向と逆向きに、捻じ曲げられたのだった。試合ならば、審判が「待て」と言うはずであった。しかし、ほろ酔いの初稽古の乱取りであり、「参った」「痛い!」と叫ぶも、夢中で技をかけるOBは気付かず、最後まで掛け切ってしまった。骨が折れたかと思うほどの激痛であった。2ヶ月ぶりの立ち技だった上に、冷え切っていたのが災いし、捻挫はとてもひどく、歩くのも坐るのも痛んだ。すぐに救急車を呼ぶべきであったが、しもたま自身が教員であったため、黙って、家に帰ってから診察してもらうことにした。そばにいた柔道関係者も、たぶん捻挫だろうとの診断であった。膝はみるみる腫れて、左足でクラッチを踏むのがやっと。痛みをこらえながらほうほうの体で家に帰った。冬眠から心地よく目覚める予定が、初日でふたたび冬眠に逆戻りである。
不運にも正月に整形専門の当直医が無く、3日後の2004年1月5日の診察まで待った。これが悪かった。腫れきった左膝に関節穿刺したものの関節内の出血は止まっており、茶色の液が出るばかりで、ここでも「捻挫と思うので、2週間安静に」と言われた。
こんなわけで、心待ちにしていたドーンさんとの対戦はしばし、“お預け”となった(結局、一度も対戦することはかなわなかった)。ただ、立ち技の代わり、足を庇いながらの寝技バトルを数回やった。
たいてい、熟練した年輩の男性か、女の子と練習している。でも、見ているこっちが恥ずかしくなる事が多い。というのも、まだ寝技に慣れていない彼女は、レベルが拮抗していると、なかなか押え込みまでもっていけないので、床の上でお互い抱きあったまま、もぞもぞごそごそと、ポーズが怪しいのである。しかも、英語圏の人は、嫌なときにははっきり「ノー!」と叫ぶようしつけられているのか、相手が勝ちそうになると「オー!ノー!」「ノー~ゥ!」と怪しげな声で絶叫するので、周りはいつも抱腹絶倒だ。1月の下旬、ドーンさんは再び道場に来なくなった。一週間ほど両親がカナダからやって来るので、いっしょに広島や京都を周るのだという。

いまでも毎日の様にパパと電話しているらしいが、内戦から復興途中のスリランカでは、さすがにカナダへ電話が出来ず、家族はひどく心配していたと言う。久しぶりの親子3人の旅は、お互い待ち遠しかったことだろう。

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