2011年5月23日月曜日

しもたま柔道&闘病日記-その24-

しもたま柔道&闘病日記-その24-
いやはや、試合は畳の上ばかりではなかった。膝の怪我で当分試合などできないと思っていたら、別の場所で、派手な団体戦の攻防が繰り広げられた。試合が終盤になると、2週間で私の体重は2.5kgも落ちていた。滝川先生のウィーンの活躍で、良いこと続きだった私の周りで、次々に事件が起こっていった。
しょっぱなは、実家の祖母の入院だった。お盆に帰省してみると、「マスターズ柔道の女子95歳以上の部」で金メダルでも取りそうな(そんなクラスはないです。冗談です)くらい元気な祖母が、物を食べられなくなって入院。二日後に容体が急変し、心臓のペースメーカー(本物)が狂いだして、脈がトトントントントトトントン、と手拍子かなにかのよう。肺に水がたまって、いよいよかというところまで来ていた。泊りの付き添いの手伝いで、8月だけで、4~5回大阪に帰省した。病院から脱走するのを手伝ってくれと、懇願する祖母に、「ごめん、おばあちゃん、両親が困るから勘弁してくれ」と言って断り、それまでの祖母との信頼関係が崩れたのが、心残りであった。
さらに、8月20日の夏祭で、滝川道場に異変があった。私は家が忙しかったので、一度も道場を覗かなかったが、後で聞いたところによると、いろいろ不運が重なり、道場の親子で、げんかがこじれて引っ込みがつかなくなり、ついに警察が介入。先生ご夫妻も、周りの保護者も、当人の親子にとっても、青天の霹靂。金メダルの晴れやかな気分が、みな、どん底まで落ち込んでしまった。
続くときは続くものである。以前アルバイトしていたM高校の知り合いから、とある中学校で手が足りないらしい、今すぐどうかという電話がかかってきた。町の教育委員会に電話したら、タッチの差で、決まったあとだった。翌日、担当者から「和歌山市内の中学校で、3ヶ月ほど理科教師が欲しいらしい」と、電話が8月末にあった。9~11月なら、うまく収穫前に丁度いい長さだと、その時は喜んだ。「向こうの条件をよく聞いてから決めてくださいね」と、担当者。この言葉が、後で重みを持とうとは、つゆにも考えなかった。
その学校の管理職、仮にAとしておこう。彼は電話で私に、「9月からから3ヶ月ほどお願いしたい。時給は1700円(高校なら2700円ぐらい)だが、特別に+α(合計で1700+600円ほど)をつけるし、交通費は8割ほどだすから」といった。これなら、収穫作業に影響は少ないと思い、翌91日にその学校に出かけていった。
Aと別の管理職のBは、おしりのむずむずするような、歯の浮くお世辞を私にとうとうと述べ、ここはいかに良い環境であるかと強調した。もう一度、条件を確認すると、Aによると、交通費は7割(減っていた!)だが、もっと上げられるか検討してみるとのことだった。しかも、3ヶ月というのは1012月のことであり、9月ばかりでなく、引き続き13月もお願いしたいという。実際は7ヶ月間だというのだ。あれ?電話と少し話が違う。なんとか勧誘のようで、不愉快だったが、まさか学校の管理職が人をだますはずが無いと、疑念をふりはらった。一方教頭で理科のCは、親切に学校を案内しながら、前任者が病気で急にやめた顛末を話してくれた。中学校は初めてだが、これは、経験を積むチャンスだ。私は、勤める決心をした。事務手続はまた後日といわれ、そのまま帰ったのがいけなかった。
一週間後、私は初授業をした。出勤簿はなかった。終わって、Aに交通費のことを聞くと、あさって返事をするという。こうして、労働契約、給与振り込み等の事務手続を済ませないまま、私は12時間も授業をしてしまった。交通費の自己負担分は、そのまま時給に食い込むから、トータルでいくらになるのか、まったくわからない。こんなことは、工場や果樹園のバイトでも聞いたことがない。足が出たらどうしよう。
さらに、学校事務に詳しい信州の友人、木下 恵氏に相談したところ、「ここの上部団体は監査が厳しいので、出勤日数以上の給料を水増しして払うことは絶対ありえない」という。Aの言うように、管理職が勝手に出勤簿を週4日に改ざん出来ないことが判明したのだ。しばらくして上部団体のD氏は、有田まで交渉にやってきた。そのうち1人は、炎上事故で有名な三菱の大型自動車工場の元役員であった。私は暴力団員ではない。一市民だ。
次の相手の出方は何だろう、先手をどうやって打とうか。有限会社や山の会の沢部のメンバーらは準備に余念がなかった。“有限会社”対“学校組織”の団体戦の始まりだ。相談に乗ってくれていた、沢部の浅井氏が、「労働基準監督所に相談したら?やり方を教えてくれるかもしれんし、指導してくれるかも」。菰池は、連名にするとその後の就職に響くと言って反対し、名前を載せないように頼んだが、有限会社が単独で訴えた。しばらくして、そこから上部団体に指導が行き、晴れて、正式な契約書が交わされる運びとなった。
ある日、私は管理職Aに呼び出されると、そこには事務長もいた。事務長がつらつらと正確な説明をする中、当初の条件、「時給1700円+αとする」ばかりでなく「交通費全額支給」と書かれていた。ボーナスなし、退職金なし、昇給なしと、これでもかという具合に、御丁寧にくわしく書かれていた。2004年9月1日の最初から事務長もいて、「時給1700円交通費7割」というのだったら、それはそれで納得して勤めていたであろうに。お互い、不愉快な思いをせずに済んだのだ。
また、別のある日、学校に行くと、出勤簿というものが出来ており、非常勤の先生は各自、そこにハンコを押すことになった。
Aが言った。「例の+αの600円は、まだ、どこのお金から出すか決めていないので、決まったら手渡しする」という。やはり、最初から決まってなかったのか。4日分出すというのは新任管理職のその場の思いつきで、正式には間違いであった。後に、AとBとはまだ、管理職になったばかりで、出勤簿の日数以上給与は出せないことや、学校のPTA費のどの辺に捻り出す金があるか、名称に知識がなかっただけで、まったく悪意はなかったと知った。書類手続上、9月分は10月分とまとめて11月下旬に支払われるらしく、それまで本当に手にできるかどうか確かめようがないが、、、

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