2011年5月14日土曜日

しもたま柔道&闘病日記―その10―

しもたま柔道&闘病日記―その10―
4/20、午後からの昇段試合の話へと進む。ここではなんと、因縁の対決が2つもあった。どちらも、去年2月の2敗した昇級試験がらみ。あの時の私は、白帯びで、柔道始めてたった一ヶ月のド素人。試合というものを知らず、いのししのように突進するばかりだった。相手は、撹乱されて思うような柔道が出来ず、いらいらしていたが、そこは経験の差。私の内股はつぶされて、初試合は負け。続いての試合も、やはり内股をすかされて負け。おとなのくせになんて弱いやつ!と、0勝2敗を引きずって、しばらくは屈辱の日々を送るはめになる(教え子の前で小学生から高校生に負けるのは、かなり生物の授業にマイナスであった。このため、物理の教師の一人が、「菰池先生は若い頃は柔道が日本のトップレベルだった」とハッタリを言って、生徒のからかいから菰池を守ろうとした。しかし、柔道部の高校生からみると、つい最近まで茶帯を巻いていて、組んでみたら実力がわかる世界である。しかも、冗談を真に受けたのは、英語や国語などの正規教員で、後に菰池がうそをついてハッタリをかましたと、嫌疑をかけられる目に遭った。特に、耐久高校に、日本代表レベルが来てからは、風当たりが強くなった)。とくに、小学生のほうの祖母(おばあ)が、道場の滝川先生に向かって、「このあいだ、うちの孫がおとなと試合したんや、あの子かわいそうに。でも下の子はまだまだ、上の子の方がずうっとうまいんや」と言ったことは、鮮明に脳裏に刻まれ、いつか雪辱をはらすぞ!と対戦を願っていた。その日がとうとうきた。
昇段試合の1試合目は、I中の中学生。上から片十字絞めで2度ばかり絞めるが、相手は真っ赤になりながらもマイッタをせず決まらなかった。これとは、惜しくも引き分ける。2試合目が、例の2月に初試合したY中(もう高校生になっているのかも)との対決。1試合目ですでに気持ちの高ぶりきった私はゆさゆさと相手を振り回し、技をかけまくる。前半に、私が体落しで「技あり」をうばう。それからしばらくして、不注意からバランスを崩して、わたしがうずくまり、上から馬乗りになったシーンがあった。しかし、いつもの練習のごとく、背中に背負って頭から引きずり下ろし、上四方固へ、、、のつもりがうまくいかず、相手は、ちっちゃい子が足を広げておしめを替えてもらうような姿勢、尻を上に向け、体が「くの字」に折れたままという、とても恥ずかしい姿勢で、先生や友達、ギャラリーの視線を浴び続けた。30秒近くも!しかも私の顔は股間から5cmと離れていない。あまりにかわいそうで、押さえる私の方も、頭をお尻から遠ざけ、出来るだけ太モモやひざの方にずらそうと、心がけたほどだった。しかし、手をゆるめて勝ちを逃すものかと、しっかり押さえ続けていた。Yの中学生との因縁の対決は、私の勝利で終わった。
3試合目は私がそのまま中学生になったような性格で同じく左組(いつもは喧嘩四つであり、同じ左組みは組みなれていなかった)。同じように互いに足はらいをぶつけ合うばかりで、技が決まらない。「技あり」以上を取れない。私の方が力が強く、押していただけに、くやしい引き分けとなった。自分とレベルが同じ人に引き分けは仕方がないが、レベルに差があって、勝つチャンスがあるのに、相手が守りに入るとそれを物にできないのは、経験、工夫が足りないからなのだろう。トーナメントの大会に出る以前の、初歩的な課題だ。いつまでたっても、ここぞというときになかなか勝てない。
4試合めが例の「おばあ」自慢の「上の子」、M中学の中学生との対決だった。自慢されるだけあって、自信満々で力で大人の私をつぶしてこようとした。ここの柔道部は県外の中学生大会に遠征する全国レベルで、昇段試合に出る前に、すでにポイントをためており、恐らく、今回の試合後の審査で、すぐに黒帯びをもらうつもりであろう。全国レベルである。W高と決勝戦で代表戦を闘った。「おばあ」自慢の「上の子」のレベルは、まだ組まなくても想像がついた。私は、こいつにだけは負けるものか、(これ以上おばあに、あれこれ自慢をいわれたくない)と思って、必死で守り、隙を見ては足はらいをかけたり、かえそうとした。結果は、引き分け。私の普段の柔道らしくはなかったけれど、負けてはいない。そのうち、お互いが黒帯びを巻いた時、今度こそ、本当の雪辱戦をして勝ちたい(しかし、前十字断裂のため、黒帯を巻いてから一度も試合をすることはなかった)。
4試合の結果は1勝3分。合計7点。あと3点で黒帯びとなった。試合の後、和歌山市の柔道場の先生に呼ばれた。彼女は私より若く、小学生の子どもが2人いるが、まだ現役選手でとても頼もしい人だ。紀柔館は柔道と学習塾を兼備しており、文武ともに育てようという画期的な和歌山市内の塾だ。新興住宅街に近く、私と同じ年くらいで柔道を始める人もいるという。去年の夏に、空手をやっていた大柄の大人の女性が、最近柔道を始めて昇級試合に励んでいると、聞いたことがある。きっとその人のことだ。その女性に会ってみたい。行ってみると、子どもが退屈してしまい午前中で帰ったしまったあとで、残念ながら会えなかった。私が試合に負けた上に、大人で始めて戦っている仲間に会えず、がっかりしていると、参加することに意義があるとの励まし。大会で負け、昇段試合で思うように技を出せず、落ち込んでいた私にこそ、その言葉はとっても励みになった。優しい先生だ。彼女もきっと、この先生の元で力をつけて、やがては黒帯をとって、地区対抗戦など大人の試合で私の前に現れることだろう。今回、午前のトーナメントの大会も、午後の初段の昇段試合も、30代の私が最高齢でだった。これからも、くじけず、最年長記録を更新していきたい。きっと、、、

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