2011年5月23日月曜日

しもたま柔道&闘病日記-その33-

しもたま柔道&闘病日記-その33-
だが、不安は適中した。次のリハビリの日、いつもは温和な担当の理学療法士が険しい顔をしている。そして、私に尋ねた。「“無茶をする”って、どういうことですか!!」“無茶”事件のほうか!どうも、カルテを書いたのは主にQ氏のほうだったようだ。CPMを十数時間したときのことだろうか。それとも、術後1週間でスーパーに見舞い客のためのコーヒーを買いに出かけたことだろうか。室内履きの靴を脱がそうとして、私の足をひねられたことだろうか。それとも、早く退院させてくれと岩崎医師に泣き付いたことだろうか(私には心当たりが山のようにあった!)。そもそも、入院前からきちんと筋トレをしていることをQ氏は快く思っていなかった。「そんなにやっても、どうせ筋肉は落ちるんや、やめとけ」って、よく言っていた。筋トレのし過ぎのことを言っているのだろうか。Q氏が無茶という言葉を吐きそうなシチュエーションを探ってみたが、どれももっともらしく、どれも確信が持てない。私はひとつだけ、確信の持てる話をした。「私が無茶と言われるのは、果樹園で肉体労働をしているからかもしれません。収穫作業時は、たとえ病気であろうと丸一月は無休で働き続けなくてはならない。収穫期の後に、病気や過労や不注意の事故で死ぬ人もある。私も職業柄、筋肉を酷使して、倒れるぎりぎりまで頑張ってしまうところがある。その話をリハビリでしたところ、理学療法士に無茶なといわれました。彼は、農業の厳しさを知らないから驚いたのでしょう」と。「なるほど、、、」というものの、これまでのような暖かな言葉はなく、やはり無茶をするからと、少なかったリハビリは更に減らされてしまった。目の前が真っ暗になった。
病院や先生の引き継ぎは重要である。私は、最初に和医大の整形外科から角谷整形に移った。このとき、本気で柔道をしていること、和医大ではなく角谷を選んだのはスポーツ復帰のリハビリのためだということが、まず、正確に伝わっていなかった。そして、理学療法士から理学療法士へ、病院から病院へ、肝心な情報はつたわらず、不確かな情報ばかりが一人歩きしてしまった。大袈裟といわれようと、生意気といわれようと、今の時代はきっちり自己アピールすることが必要である。謙虚や謙遜は美徳ではない。今回は、まざまざと思い知った。
魔の2週間。手始めは「むちゃな患者」というレッテルだった。膝が順調に治り、日常生活を普通に送り、柴犬の散歩もでき、柔道も復帰目前というときに、たった1つのカルテが私をどん底に突き落とした。柔道やサッカーでトップレベルに戻りたい、教員として正規採用に復帰したいと言う思いは、復帰のためなら、ありとあらゆる努力を惜しまない行動に現れていた。しかし、その努力を正当に評価する人は少なかった。海南の理学療法士達は、間違ったうわさを信じ、私を我侭で勝手なことばかりする「不良患者」とみなし始めた。「果樹の収穫時期だから」頑張りすぎるという言い分けも通じなかった。

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