2011年5月28日土曜日

しもたま柔道&闘病日記その35

ついに道場とジョギングの許可が出た!角谷の生活リハビリも週に1回通うだけでよくなった!職場も家から5分のM高校の分校。そして、待ちに待った滝川柔道場に復帰するのだ。岩崎医師に道場練習について確認すると、レントゲンの結果、骨の硬化も順調で、重い荷物を持っても大丈夫。旅行も軽いハイキングもOKという。理論上は背負い投げで相手の体重が乗ってきても、もう関節に関しては大丈夫ということだ。ただ、「打ち込み」は止めておくようにと言う。筋肉が伴わないと、肉離れを起こしたり、靭帯に負担がかかって危険なためだ。筋力測定で安全を確認したらOK。ということは、5月に筋力測定だったら、5月に許可がもらえて打ち込みができたのになあと思った。が、あせらなくても自分さえしっかりしていれば筋トレはやり遂げられると、まだ信じていてた。岩崎先生はそれよりも、 Y氏のリハビリについて、驚きを隠せないでいた。実は4月時点でハーフスクワット(90度屈伸)までしか許可が出ていなかった。それなのに検査好きのY氏は、どこまでひざを曲げても大丈夫か、深い屈伸のテストをさせていた!しかし今ならもう、しゃがんでもいいと医師はいう。6月からしっかり打ち込みが出来るように、一生懸命練習しようと思った。それには、基本からやるべきだろう。まず、柔道の「形(かた)」からするつもりだと岩崎先生にいうと、賛成してくれた。「形」をするために、ますます、腹筋や背筋、腕立て、スクワットに励んだ。だがここに来て、通勤と通院が忙しく、柔道の滝川先生と連絡を密にとっていなかったつけがまわってきた。
練習の日、道場では何が起こるかわからないので、念のために装具を付けていった(装具があれば、急な接触でもひざを守る事が出来る)。滝川先生に、柔道場でトレーニングしてもいいかと尋ねると、いいと言ってくれた。「もう、乱取りしてもええんか」「乱取りはまだまだ先、1年後ぐらいです」「では、打ち込みは」「うちこみもまだですが、形(かた)ならやれます」、近況を報告し、筋トレが必要なことをうったえた。しかし、先生は術後3日目の一番たいへんな時の私しか見た事が無かった。「乱取は1年後」というのをひどく強調しすぎたらしく、私をかなりの重傷と判断なさった。装具の見た目も悪かった。装具はかぼそい筋肉を補うためで、はずすとまったく歩けないと思われたようだ。「受け身は足に衝撃があるから危ない」「環さんは形をせんでもええ。形の試験も来んでもええ。他の先生にまかしといたらええんや」と、つれない。折りしも中学生の女の子達が形の試験を受ける頃だった。私はリハビリがてら一緒に形の練習が出来るものと思い、はりきっていたのでがっかりだった。しかたがなく、私は1人、もくもくと鉄アレーと格闘することになった。
その頃カナダ人のドーンさんは、黒帯をとってから賞状が来るまで試合が無いので、すっかりやる気を失っていた。そして、2段の男性を捕まえては、「10秒でなげてごらん」とけしかけていた。その2段の男性は私と同じく大人になってから始めた人で、最近子育てが忙しく、柔道が久しぶりで、ドーンさんのけしかけに喜びながらもへろへろになっていた。暇を持て余しているドーンさんが、完全復帰までのトレーニング相手になってくれないかと考えたこともあった。1年半前に初めてドーンさんが道場に来たとき、私は週に4日柔道をして一番油の載った時期だったが、他の人と練習するのをあきらめ、ドーンさんに付きっきりで手取り足取り、技を説明した。人を教えるのは自分の勉強になるし、一緒に投げ込みをするのは楽しかった。あの頃の私のように、逆にうまくなったドーンさんが私の練習相手をしてくれないかなあと、ひそかに期待した。
しかし、ドーンさんは私の15倍も背や体重があり、いざというときに巻き込まれる危険が高かった。それでなくてもふざけるのが好きで、口やら足でけしかけてくる。昔、ビシバシとしごいた「し返し」をしてくるのだ。そのくせこっちが真剣に技をかけると、こらえきれずによろよろと寄りかかってきたりもする。本人も私も予測が付かないのは危ない。しかたなくあきらめた。立ち技でなく寝技の約束練習だったら出来るかも、、、と思ったが、ドーンさんは寝技が嫌いだった。始めてすぐの頃、「3段のおじさん」に首を絞められて以来、すっかり嫌いになってしまった。そのうちにね、といいつつ、とうとう一度も寝技の相手をしてくれることはなかった。
復帰したばかりの例の2段の既婚男性なら、適任かもしれないと思った。彼なら身のこなしがうまいし、家族も2人、膝の手術をしていてよくわかっている。声をかけたところ、彼の反応は散々だった。「こんなにすぐに道場に来て、柔道バカか?」「筋トレのために、練習が必要です。弟さんも、膝の手術後、筋トレしてたでしょう」「……弟は柔道なんかやってない。手術して3年、もくもくと水泳で体力を付け、ようやくスポーツ復帰したんや!」すごい顔でにらむと、その後口をきいてくれなかった(わたしゃ3年もよう待てまへんがな、、、)。最後の頼みの綱は、一緒にマスターズ大会を目指す予定で、病院にお見舞いにも来てくれた3段だ。彼はいつまでたっても復帰してこない私を待ちきれず、7月に入って道場にあまり来なくなってしまった。相手がいなくては、形の練習は出来ない。こうして、受け身も打ち込みも、形の練習もできず、道場では暇だった。見ているばかりでは時間がもったいないので、家と道場の間のランニング時間を増やし、しだいに道場で過ごす時間は少なくなった。
ところが、である。猛暑とランニングが功をそうして、私のからだは日ごとにやせはじめた。腹の立つことに、筋肉の消耗で体重が落ち、かわりに脂肪率が増加していく。こんなはずじゃあ、、、当初の予定では、5月から形で筋力を付け、柔道の感覚を少しずつ取り戻し、慣れた6月頃から相手付きで「打ち込み」を始め、秋には早ければ「投げ込み」をするつもりでいた。目算が狂った。当たり前である。週に1~2回道場で鉄アレーを握って、脚の力が付くはずが無い(鉄アレーは悲しいかな、腕力の一部しかつかない)、仕事と合唱の練習が忙しく、家でのリハビリの時間はほとんど無く、道場が唯一だったのも災いした。こんなことなら、退院後からしょっちゅう滝川先生の整骨院に通って、近況報告をしておくんだった。道場で練習さえできていれば、こんなまぬけなことは起こらなかったのに。信州で国体選手としてサッカーをしている友人に、「魔の二週間」以来のリハビリ失敗の愚痴を言うと、「私なら、切るのはイイ医者で切るにしても、最初から親しい整骨院のところで一貫して理学療法とスポーツリハビリとをうけるなあ」と、言われてしまった。そう、私は目先の最先端のトレーニングマシーンや最新のスポーツリハビリにとらわれすぎて、私を心配し一番理解してくださっている滝川先生をないがしろにしていた。本末転倒だったのだ。
こうして、角谷に週二回ほど筋トレに通っていた4月末に比べて、2kgも筋肉をダイエット(10%近くも脂肪が増加)してしまった私は、よりにもよって念願だった筋力測定をいよいよ受けるはめになってしまった。ああ、6月の筋力測定の結果はいかに。次号に続く。

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