2011年5月15日日曜日

しもたま柔道&闘病日記-その13-

しもたま柔道&闘病日記-その13-
大阪原産こてこての私は、どちらかというと西洋犬的べたべたの性格で、人懐っこいタイプ。しかし、中紀の果樹園や農協、賢(かしこ)の共同選果場の人々は、おっとりとして、自尊心が強い(信州松本近郊の葡萄農家も、しかり。ドライな個人主義は、経営形態であるかもしれない)。有田海南地域の子供たちの柔道を見るにつれて、それが土地柄であることに気付くのである。例えば、なにかにつけて「チームワーク(団体行動)」が好きな信州人に比べて、有田の人々はネコのようにドライで、集団から放っておかれるのを好んだ。しんどいときは無理をせず、もっと家族や友人に甘えたらええのにと思ったものだ。先日の高校総体(柔道日記その12に登場)で、近くのT高校の試合を見ていると、団体戦とは思えないほど、各個人がクールに淡々と試合をしているのである。私のイメージしていた団体戦は、K高校のようなチームや地域が一体となった熱い声援。私が選手であったら、応援は大きいほど心強くて嬉しいのにというと、「あんなに声をかけられると、試合がやりづらい」という。血の気の多い私は、やはりK高校的なのか? 有田原産の性格、長年の謎が解けたり!
私には、年齢のために逆立ちをしても小中学生の大会を経験できないはずであった。ところが、先生の不思議な「マジック」で、小学校低学年の試合に出る体験をいただいた。私が実際に試合するわけではないが、とてもリアルな体験ができた。なんと、チームの監督を頼まれたのだ! いつもなら、柔道2段以上のベテランが指揮するところを、低学年チームに限って、私と、女子高生と、男子中学生の3人にまかせ、経験を積ませようという、粋な計らいなのだ。しかしこれには、私の白帯から黒帯までの赤裸々な試合を目の当たりにしてきた保護者が、「なんでこいつが監督か」と動揺してしまった。
というのも、任命された当時の私はまだ茶帯びで、子どもの頃に柔道の経験がまったくない。まして、柔道の大会で勝ったとか、輝かしい実績もない。まだ始めてたった1年弱な事は、古くからいる保護者には一目瞭然であった。悲しいかな、いまどきの「お稽古事」では、先生がお決めになったことだからと、皆が「ははーっ」とひれ伏して従うことは、まずないのだ。保護者のパワーは侮れないのだ。今どきの保護者は「うちの子は天才!できないのは環境のせいに決まってる」と信じていて、自己主張が強く、なんでも言った者勝ち。私は、先生が任命して下さったという「権威」だけを支えに、よろよろとした足取りで、5人の子ども達と歩きだすことになった。
保護者といえば、幼少の頃のバレエ教室で、子どもがトウシューズを履くことを急いでいるのをよく見てきている。しかも我が子が主役を踊れば、親も鼻高々だ。しかし一流の教師は、なかなかトウシューズを履かせない。成長期で身体の出来ていない子どもにトウシューズは、足首に負担がかかり過ぎるからだ。何年も味気のない基礎訓練をし、骨や筋肉が耐えられるようになった頃、ようやく許可が下りる。ピアノでも、音階練習で指のすじや手の筋肉を鍛え、つまらない聞くに堪えない練習曲をたくさんこなして、ほんのちょっぴり楽しい曲を学んでいく。楽しさを優先し、基礎を飛ばすと、いづれ行き詰まる。一流になるためには「急がば回れ」だ。伝統芸術でも創造性はもちろん大切だが、大部分は型どおりで、個性はその上ににじむものだからである。
一方で、近代スポーツサッカーの世界では、競技スポーツと体作りが求められている。子ども達はまず、体を動かすことや、仲間と協力する作業が楽しいということなどを学ぶ。低学年では鬼ごっこやドッジボールをして機敏性を身につけたリ、足ばかりではなく手も使って、全身でボールを扱えることに重点を置く。いろいろなフェイントを体で覚え、個人技を磨く。運動能力の高まった高学年になると、これまでの基礎練習のほか、ようやく試合を想定した、複雑な共同作業の練習に入る。無意識に正確に体が動くことも重要だが、瞬間ごとに自分で状況判断できる創造性が求められる。
伝統ある柔道は、私からみるとただの競技スポーツという気がしない。勝ち負けを競う競技でもありながら、無駄のない「動作」や「力」を追求するバレエのような芸術でもある。こつこつとした日々の努力が報われる一方で、想像力豊かな発想も、必要とされる。個性豊かな華やかな大技は、地味な基礎の上にある(と信じている)。そこに魅力を感じる。
それでは、“監督一年生”の出来事に戻ろう。試合に勝つために何をすればいいか、子ども自身がどうやったら考えてくれるだろうか、と悩んだ私。軍隊のように私の号令で教えるのは避けたかった。自分達で練習の必要性を感じ、大きい子が小さい子の面倒を見てくれればありがたい。そしてさらに、本番に実力が出せる心理作戦。本番だけ特別なことをすると、子ども達はかえって緊張が増してくる。日頃から、本番を意識した本番さながらのリハーサルが必要だ。小さな子どもは暗示にかかりやすい。勝てる相手にも気持ちで負けることがある。勝てる!自分は強い! と、闘う前から思い込ませたかった。
5人の子ども達のうち、2人はまだは入ったばかりの12年生で、柔道の試合の経験が一度もなかった。学校の体育でも、試合らしいスポーツはしたことがないはず。まずは、こまかなアドバイスより昇級試合で経験を積ませてからだろう。34年生が12年生の面倒を見てくれるよう、始めはミーティングと筋トレをしつつ、チームワークに重きを置いてみた。ところが、自分こそが注目されたい、ボスになりたいと思うのか、3人がてんでばらばら発言し、練習を自己流に仕切ってしまう。私が大将を中心にまとまるように、いろいろ誘導すると、かえってやる気を失い、ふざけはじめる。勝手なことをしはじめた子供の1人に「どうして、真面目に練習しないの?」と聞くと、「どうせ、おれたちは練習しても勝てっこないよ。チームみんなが弱いから負けるんだ」という。「勝てるかどうかやってみなくちゃわからないよ」と、その場は言ってなだめたが、私には説得が難しかった。やがて、高校総体の団体戦を見て、有田地域の子供たちにチームプレーを期待するのは間違っていたと気付いた。もっと早く気付いてやれたら、お互い楽だったのかしれない。
保護者も子どもも、監督がびしびし指示するのを期待している。中学生監督が、そばで背負いの投げ方を教えたり、いろいろと具体的に教えていた。なかなかやるな! 私もそこまですべきだろうかと悩む。私のあずかったチームとは言え、滝川道場の子ども達だ。私のカラーに染めてしまっては行けないと、自粛する。無口な4段が、常日頃も無口な理由が、ようやく飲み込めてきた気がする。自由にやらせてみると、その子その子の得意な立ち技、固め技が自然にでてくる。そして、そのときに間違った習慣だけ注意してやればいい。慌てなくても年齢とともに、必要な筋肉がついてくる。それからでもいいじゃないか。
監督を頼まれてから、私がやったことといえば、結局、練習を見守り励ますことばかり。他の監督のようにあまり指導しなかった。他の人が監督だったら、もっと伸びていた子がいたことだろう。だが、一つ誇れるとしたら、他の子の試合に、自分の試合のように喜び悲しむ子ども達が5人、監督の力を借りずに登場したことだ。

6/15、和歌山市で本番があった。和歌山県全域から、高学年46チーム、低学年34チーム。我らが滝川からは2チームづつの参加だ。いつもなら、観客席で応援なのだが、今回は監督という肩書きのお陰で、監督指導者会議に出たり、選手とずうっと行動を共にする。自分の試合のように緊張してくる。第一戦は、橋本の柔道クラブ。相手が4人しかないこともあり、不戦勝を混ぜ、3-2で勝つ。やったあ。次も勝とう! と、そこまではよかった。子どもの恐ろしさは、ここからであった。「次に勝ったらベスト8。その次勝ったら3位入賞、メダルだ! 」と、たった1勝ですっかり浮き足立ってしまったのである。そんな先のことより次の試合に勝つ事を考えなさいと、私がいくら言っても、もう、舞い上がってしまっていて、耳には入らなかった。暗示の心理作戦が裏目に出たかも!と後悔。案の定、2試合目の由良戦は集中に欠け、試合中にコーチの声援のたびによそ見をする子も出て、3―2で惜しくも負けてしまった。初戦で1勝したあとに、気持ちを引き締め、立て直させられなかったのは、残念だった。監督一年生の思い出は、私の試合にもきっと活かされることだろう。
滝川道場では、大人の団体戦もあるらしい。7月に行われた、おとなの団体戦の話は次号に続く。

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