2011年5月13日金曜日

しもたま柔道&闘病日記―その9―

しもたま柔道&闘病日記―その9―
4月の試合に向けて、約3週間の特訓が始まった。
たかが趣味で、そんなに一生懸命、熱くならなくても、と思われるかもしれない。しかし、私のモットーは「今日という日は今日しかない」だ。明日、またやればいいさと思っても、その相手はもういないかもしれない(その中3の相手は、事実、3年後に事故で亡くなった)。明日は自分の体調が悪くて、思う存分できないかもしれない。それに、せっかく大事な時間を割いて柔道の練習をしているのだから、遊び半分でやるのはもったいないと思う。「毎日が真剣勝負」だと思って、この1年間、柔道の練習で突っ走ってきた。すると、練習に自然に力が入り、祖父の血が騒いでくる(柔道日記その8を参照のこと。祖父のふるさとの人は、すぐ熱くなる)。試合では、なおさら。しっかり練習してきた相手に、そして、道場の仲間に報いるために、精一杯闘いたいのだ。気持ちだけでも(気持ちばかりでなく、年齢だけは実際、相手に負けないつもりである)。
最初の2週間、なかなか減らなかった体重も、練習量が増えるにつれていい感じに脂肪率が減ってきた。3週間目に2kgの減量をようやくクリアした、そんなときに、乱取り中、投げられて受け身を失敗して怪我をした。私の勘では全治2~3週間てところか。ときは試合の10日前。11月の骨折、2月の足首ねんざにつづいて、またもや試合前。とにかく安静にして、早く傷みを取ることに専念する。かといって練習は休めない。追い込みの時期なのに、涙を飲んで力を抜いて乱取りした。覚えがよくセンスある子供たちとは違い、練習量のみでカバーするしかない私にとって、練習を控えることは、針のムシロのようであった。それでなくとも、納得が行くまで練習をしないと、本番に自信が持てない。「やるだけやった」という自信さえあれば、あがらずにうまく出来るが、少しでも不安があると、頭が真っ白になったり、とちったりしたものだ。柔道でも直前の練習では、「やるだけやった、今日もいい練習ができた、こんな感じで本番もやれば勝てる」と、自信をつけてから試合に臨みたかった。
そんなわけでこの一週間、練習を自重するのは、とても勇気がいって、ストレスが溜まった。早く試合が終わって、怪我を気にせず、思いっきり柔道がしたいと思ったものだ。悶々とし、焦りのストレスから、体重がさらに減少した。ストレスやつれは、柔道や試合の所為ばかりではなく、4月中旬よりアルバイト(この年より、県立高等学校の非常勤講師)を始め、仕事が益々忙しくなったせいもあるかもしれない。
発想の転換が必要だ。好きな柔道でストレスを溜めるのはよくない。柔道がやれるだけでも幸せなんだ、感謝しなきゃと思うことにした。最後の水曜日の乱取り、私は、心の底から柔道を楽しんだ。右肩の調子も良くなり、体を動かしているだけで、とても幸せな気持ちになれた。果樹園は頭を使うより体を使う仕事で、夕方道場に来て頭を使うのが気分転換だった。それで、ストレスのはけ口とばかりに力任せにエネルギーをぶつけてきた。それが講師のアルバイトで、頭を使うデスクワークの仕事となってから、柔道で、仕事を忘れて体を動かすのが気持ちよく、柔道がいい気分転換に変りつつあった。教師や医者などが人疲れして溜めたストレスの発散に、趣味で山登りや柔道をするのは、こんなに「ほんわか」した気持ちだったんだと、少しわかった気がした。
今度は体重が減り過ぎだから、逆にせっせと食べまくる。なれない講師の仕事をはじめたばかりで益々練習が出来ない上に、体重別の試合のため、食事制限があったから、この頃は柔道を続けることに葛藤していた。普段の体重に関係のない試合では、こんなことはない。このときだけである。体重をクリアし、食事量に関係なく試合に出られるとなると、安心のため元気が出てきたので、試合2日前の金曜日は近くの高校に出かけた(一度だけ中学の練習にも参加)。3年の生徒達とは、授業で会うこともなく。この調子で試合も頑張るぞ!体重も快復傾向。2日前にして、やっと自信が出来てきた。
こうして、むかえた4/20。当日朝の、直前の予備計量はぎりぎり!しかもほっとして、水筒の水をふたくちほど飲んで、本番の計量に臨んだら、1gも余裕なく、あせる。あやうく失格になるところ。まるで、金額をちょうどにそろえる買物ゲームのようなスリル!「水を飲むくらいじゃ太らない」と言ってたのは、嘘です。消化吸収がよくなり、飲んだ水の重さ以上に体重が増量するのは本当ですよ。これからは「水を飲んだくらいでは体脂肪はつかない」と、言い直して下さい。
午前中に行われた体重別の試合の結果は、あっけなく一回戦負けだった。柔道歴たった1年の茶帯と黒帯とでは、力の差が歴然とした。前回のしもたま日記で、私の戦いは、大国アメリカ(黒帯び)とイラク(茶帯び)のようなものだと喩えたが、まさにその喩えどおりの結果となってしまった(イラクが負けた後、そんな縁起でもない喩えをするんじゃなかったと後悔)。言い分けをすると、私を破った相手は、そのまま勝ち進み、その階級で準優勝している。ただし、決勝戦で、チャンピオンに開始数秒で投げられていた。そこにもまた、大きな力の差があった。はたして私とチャンピオンとの間には、どれほどの道のりがあるのだろう。私の柔道は、まだまだ登山道の登り口だった。トップを見るため、2003年の大阪の世界柔道を生で見に行った。60kgの野村、48kg田村など軽量級の選手と、重量級の選手の両方を見比べた。それでもまだ、何が必要か、全然よくみえない。優勝するには高い技術があることも、大切だが、試合全体をミスなくきれいにまとめる技量が要る。(少しでもミスをしたら、そこにつけこまれて負ける)間違えてはいけないが、ミスを気にし過ぎて全体の流れやダイナミックさを失ってもいけない。すごく神経を使う繊細な作業に思えた。昇段試合が、趣味のお稽古事の「発表会」なら、大会はプロを目指すような本格的な「コンクール」。出る人のレベルも心構えも、何もかもが違う。これは、見ていてはわからなかった、体験して初めてわかったことだった。子ども達に、練習試合(発表会)と本試合(コンクール)の違いをどうやって教えればよいか、私の新たな課題となった。4/20の午後の昇段試合の結果は、次号に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿