2011年5月11日水曜日

しもたま柔道&闘病日記―その4―

しもたま柔道&闘病日記―その4―
8/11の進級試験は近い。「いよいよ、1級の進級試験!」。1級に受かると、念願の昇段試合に行く事が出来る。黒帯びデヴューめざして、スタートラインに立つ事が出来るのだ。わが滝川道場の60代の先生は、さすがはべテラン。人の性格をよく見抜いていらっしゃる。今年2月の試験まえと違って、ちっとも私を励まそうとしないし、練習のし過ぎを諭されない。私の性格からして、はっぱをかけなくてもむきになって練習し、それをとめても無駄な事をよくご存知なのだ。道場ではしばしば、「大人だから勝って当たり前」、「すぐに進級して当たり前」というようなプレッシャーを受けることがある。これが実は、一番手ごわい。しかし、先生は覚めていらして、変におだてたりしない。「(私に)あまりプレッシャーをかけすぎると、普段通りの試合ができないのではないか、そっとしておこう」、そんな、先生の師弟愛が感じられた。
さらに先生の配慮で嬉しかったのは、入ったばかりの中学生の子に、技を教えるのをまかせて下さった事である。まだ、柔道歴がたった半年の、技も未完成な私に!人間、まかされたり、信用されるのが一番嬉しい。後輩に手取り足取り、教えているうちに、自分も忘れていた事や新しい事に気付き、試合前にいい勉強になった。たとえ未熟でも、人に教えるという経験は、とても大切な気がする。試合前にぐらついていた心が、少し自信がついた。世の中の小中学校の先生が、みな、滝川先生のようであったなら、子ども達はどんなにか幸せな学校生活を送れることであろう。先生の有るべき姿、人に教えるという事はどういうことか、あらためて教わった。
滝川道場で教わるのは、柔道の技だけではない。例えば、自分でまったく帯びの結べなかった子が、半年以上かかって、やっと丸結びが結べるようになる。いまの小学生にとって、結び目を作ることがとても難しいらしい。外で遊ばず、テレビやゲームばかり、そんな今どきの子どもでも、道場に通っているうちに、丸結びも蝶結びが、すらすら出来るようになる。
子どもたちが紐を結べない原因は、生活で紐を結ぶ機会がほとんどないからかもしれない。最近の服や靴には、ファスナーやマジックテープが多い。中学や高校に入り、紐靴が義務づけられると、とたんに靴のかかとを踏んでスリッパのようにはいてしまう子どもが増える。きちんと履くように先生が注意すると、強引に足を突っ込もうとして「入らない!」とぼやく。紐靴は、結び目を解いて23目までゆるめてからでないと、足が入らないという初歩的なことを、教わってない子も多い。これはその子のせいばかりとは言えない。紐靴をきちんとはいたことのない親が、すでに増えている。私の予想では、近い将来、山の会では、ロープワーク以前に、登山靴の正しい履きかた講習会が、必要になってくることだろう。そこでまず、正しい丸結びや蝶結びの結び方を教わるのである。(笑い事ではないですよ~、、、)
形の練習は、7月から少しずつ行われていた。柔道にも少林寺や合気道のような、実戦的な形がある。形には、男子の形と女子の形があるといわれているが、本来は同じであり、女子は身体が柔らかいのと女子中学生に体力がないために、男子の後段者の形(6段、7段受けの「柔の形」)も先に学ぶ。
男子の初段受けの形は、普段の柔道の投げ込み練習が活かされる、約束稽古のようなものだ。これを「投の形」と呼ぶ。「投の形」には手技、腰技、足技の3種類があり、それぞれ3種類選ばれる。2段受け、3段受けでも「投の形」があるが、手技、腰技、足技の他に真捨身技、横捨身技の合計5つがある。右の技も左の技も両方習得するのは、普通、この初段受けの時である。それまでは、たいてい、自分の左右どちらか得意な方を、練習している。
滝川柔道場に来ている双子の兄弟は、たまたま先生の意図で一人は右、一人は左組みにされていた。後ろに回ってゼッケンを見なくても、遠くから見て兄弟の区別がつくからだと、後で滝川先生に聞いた。しかし、大きな試合に勝ち進むのは、右組みの兄貴の方だった。つまり、右組みで教えてくれる指導者の真似、イメージトレーニングが多く積め、しかも先輩から教えてもらいやすいのが右である。なぜなら、組み手争いは、右組みは右組みの指導者から学ぶことが多く、左組みが喧嘩四つの戦い方を学ぶ機会が少ないからである。そして、組まないで技をかけるかけ方ばかりが身につき、小学生の地区の小さな大会では、左のために有利で簡単に勝て、大きな大会では左が有利になっていないのではないか。滝川柔道では、滝川先生が左組みであり、左組みは最初の指導でイメージトレーニングしやすく、右組みの子どもが、いちいち自分の身体の位置を、先生の左から自分の右に置き換えねばならない現象が生じていた。そして、滝川柔道場で学ぶ小学生の女の子は、こぞって、右組みであったことを考えると、師匠の身体を鏡で見ているように招いている可能性もある。また、中学生女子に左組が多いのは前から気になっていた。指導者の見本を見て、鏡のように左右逆に覚えてしまうのだろうか。それとも、意識して指導者が左が有利であると逆を教えるのか。考察する必要があろう。
ちなみに、女子の初段受けの形は「投の形」でもよいが、多くは「柔の形」で代用されている。「柔の形」とは、殴ったり小突いたりしてくる相手に、関節技をかける形。攻撃防御の形といわれている。普段の練習とはまったく別物であり、踊りのように身振り手振りを一から覚えなければならない。つまり、女子柔道は大人から始めると不利である(教員採用試験のために、男性講師が柔道初段を取るほうが楽で、女性講師が女子初段を取りにくいのは、単に同年代、同じ体型の練習相手が少なく、対戦試合数が少ないばかりでなく、この柔の形の覚えにくさもあろう)。十代のやわらかな頭の方が有利なのだ。
帯にも男子の帯と、女子の帯があると言われているが、男女の違いがあるのは、日本国内の黒帯だけであり、海外では男女共に白線無しの黒帯である。小学生女子の白線入りの色帯、中高生女子の白線入りの茶帯は、女子初段の白線入り黒帯を真似たもので、ルールで決まっているわけではない。滝川先生によると、「中学校や高校の顧問の先生が、学校の備品をそろえる都合上、『学校間の大会では、女子は必ず白線を入れた帯をつけるよう取り決めた』、それが学校外の一般の昇級昇段試合にまで当てはめられてきた、悪習である」らしいのである。そばにいた保護者の1人が「もしかしたら、備品の業者のたくらみかもしれんなあ」と言った。確かに、女子用の帯びも揃えると、必然的に帯び全体の購入本数が増えるし、なにしろ、女子用は割高なのである。業者陰謀説は、あり得るはなしであった。学校の顧問が必ずしも柔道の達人とは限らない。もっともらしく口車に乗せるのは簡単かもしれない。
 
2級受け、初段受けが近づくと、道場では早めに練習を切り上げ、「投げ形」と「柔の形」の稽古をする。投げ形の指導者はいくらでもいるが、「柔の形」の指導者は少なく、60代の大谷3段は「柔の形」の演武をマスターするべく、第1教~第3教までビデオを使って学んでいた。というのも、大柄な中高生の投げの形の相手をすることはまずなく、数少ない女子選手が形の練習相手に事欠いている。しかも、女子の場合は、23段の有段者が身近にいないため、高段者と切磋琢磨する機会にとぼしいのだ。
道場の大谷3段は、練習がうまく道場の女の子達に人気で、よく、打ち込みや乱取りの相手をしてやっていたから、形の練習を彼女達に教えるのに向いていた。そして、大谷3段は、女子高生らが初段、2段受けに来たときの指導者として、さらに男子の6段、7段受けのための指導者として、期待されていた。身長の155cmと低い菰池は、たまたま大谷3段と近い体格で、この模範演武の相手に最適であった。この「柔の形」は腕を後ろに引っ張り、肩関節をきめられるので、まるで、ストレッチ。農作業で凝っていた肩が、練習するうちにほぐれてきて、とても気持ちがよかった。本当は痛がってマイッタをするシチュエーションなのに、もっとストレッチして欲しくて、なかなか大谷3段にマイッタを言いにくく、困った。
後に、耐久高校に、女子の後段者が正規教員で配置され、この柔の形の模範演武は彼女がしてくださることなり、大谷3段と私が勉強する必要がなくなった。その教師は田村亮子と試合したという実績で、耐久高校の男女柔道部員の柔道レベルをあげ、後の高校ALT教師ドーンさんの良き指導者となった。
さて、8/11の昇級試験の日がやってきた。真冬の2月と違い、8月の体育館はうだる暑さだ。まず午前中に、初段を目指す人の「形」の講習会があった。形のほうは無事に合格する事が出来た。午後から、いよいよ試合が始まった。すでに蒸し風呂のような体育館に3時間以上もいて、熱中症にかかりそうだ。1級の受講者は小中学生と高校女子の混合グループと、一般との、2グループに分けられた。身長が155cmと低いのと、前回の2級受け惨敗の事もあり、私はなぜか一般ではなく混合グループに入れられた(対戦相手を年齢や体重ではなく、身長の低い順に決めるのは、昇級試合だけである)。混合といっても俊敏な小学生の男の子から、体重70kg以上もありそうな、ごっつい女子高生もいるので、有利とも言い切れない。混合グループの女子の中には、女子だけのリーグを希望する動きもあり、それを聞いた私は「男女混合なのは昇級試合まである、(お互いの勉強のために)混合でやらないか」と提案した。すると、かろうじてそのまま男女混合となった。小柄な私の対戦相手は、残念ながらふくよかな女子高生ではなく、3人とも小柄ですばしっこい中学生男子であった。
1試合め。わたしより少し背の低い相手。相手は右組のふりをしながら、いきなり、左の技をかけてきた。確かにスピードはすばらしかったが、そんな遠くからかけて、決まるんかいなと思うようなフォームの「体落し」だった。しかし、それが曲者だった。やつは怪力の持ち主で、しゃがみこむやいなや、まるで綱引きのようにじりじりと引きずり込んでくる。投げてから「数秒」もかかる、そんな技にむざむざとかかり、なさけなくも技ありを取られた。いちど技が決まったせいか、やつは調子に乗って、何度も同じような強引な体落しをかけてくる。その後は、なんとか技ありを取られないよう逃げ、寝技にも持ち込まれないように逃げ回った。しかしあるとき、寝技から逃げて立ち上がったとたん、どちらも試合が中断したと思い、(道場の練習の調子で)互いに手を放してしまった。だが審判が「まだ、待てといっていない(試合は続いているよ)」と言う。両者、はっと我に帰り、お互い襟をつかもうと手を伸ばした。その、組際に、いとも簡単に投げられた。「技あり、合わせて一本!!」どんなスポーツでも審判がとめるまでは攻め続けなくては行けないのに、そんな当たり前の事で破れるとは、またもや小学生並みの初歩的ミス。いかん、2月から進歩してないぞ!通算3連敗に愕然とした。
2試合めは、かなり小柄な相手。今度は自分のペースで柔道が出来た。試合1分目くらいで、「小内刈り」をかけ、バランスを崩した相手に止めを刺して倒し、「袈裟がため」の押さえ込みで初勝利。しかし、どんなに思い出しても、どうやって勝ったのか思い出せない。何の技だったのだろう。この疑問は後に明らかになる。
3試合め、この相手は大した技は持っていないのに、受けが強く、こっちの技がまったく通じない。勝てそうで勝てないまま、試合は2分半を過ぎた。そのとき、審判が私に「このままいったら、相手の優勢勝ちだ」と耳打ちしてきた。引き分けだと思ってたのに、わたしは負けてたのか。しかたがなく、勝負に出ることに。確実な技で攻めるべきか、意表を突いてみるか?心の声は、「足を持ったり、意表を突け!」とけしかける。しかし、2月のあの心の声にしたがって攻めまくり、冷静さを失った経験から、今度は冷静に大人の試合をしようと、確実な技を選んだ。ところが相手も、同じ事を考えていたようだ。私が確実な技をかけようとしたとたん、意表を突いて、足を持ってきた(両手刈り)。足を持たれるのはなれていたつもりだが、裏をかかれたショックと、観客がぎりぎりそばまでいたために、倒れたあとまわりの群集で身動きが取れず、うまく寝技に持ち込めずにそのまま優勢負けをしてしまった。後で周囲に聞くと私の思ったとおり、途中まで引き分けだったそうである。耳打ちした審判の勘違いだったのかもしれない。もう、これからは、試合では自分しか信じないぞ!私らしく、攻めまくってやる。そう、心に念じた。
こうして1勝2敗。かろうじてだが1級合格となった。これで、どうどうと大人の試合に出られるのだ。これからも対戦相手が中一ということもありうるが、子ども扱いはなく、絞め技も関節技もありの、シビアな大人の柔道となる。余談となるが、本部に立ち寄ったとき、他の道場の先生が「ところできみ、どこの学校?」と聞いてきた。ああ、またもやか。今度は中高生にみえたのだろうか。2月には稚拙な試合で、相手に小学生と間違われたくらいなので、少しは成長したのかもしれないが、、、
先日、試合の様子の写ったビデオを借りてきた。例の2試合めが、どうやって勝ったかこれでわかる!「どうだった?何の技で勝ってた?」と初段に聞いてみた。すると、「う~ん、、」と考え込みながら、「っていうか、、、体落し、みたいな、、、」と、女子高生のごとき返事だった。その後自分でも見てみたが、何度見ても余計にさっぱりわからない。柔道をよく知っている初段が「体落しみたいな技」だと言うとおり、相手の足をひっかけて前に投げてはいるのだが、それを「体落し」と呼ぶにはあまりにむちゃくちゃの、わけのわからん技だった。投げられた相手も、きっと何で投げられたのか分からなかった事だろう。でもまあなんにせよ、一勝は一勝。しかも、今年の暑中見舞いの葉書は、「体落し」で相手を投げているイラストを書いて出していた。あれはまぎれもなく、予言となって実現したのだ。実際はイラストからかなりかけ離れてはいたが。
昇段試合は毎月あって、自分で好きなだけ出る事が出来る。次は9/8。たとえ勝てなかったとしても、試合経験をたくさんつめるのは嬉しい。9/8の昇段試合の結果やいかに(農協職員の佐古氏のバックドロップのアイデアをきき、試合で試すと裏投げと言う技で勝ってしまった)。つづきはまた次号にて。
形の練習は、同じ体格の人同士でないと出来ない。それで、初段受けが2段と練習したり、先輩と組んで練習することが増える。それがまた、お互いの技を高めるのに役に立っているのだろう。ただ、乱取りと試合ばかりしているよりも、この、形の練習を終えた中高生は、技がきれいになり、左右両方投げられるようになっている。やはり、黒帯というのは、強さだけではなく、この、先輩と理想的な投げ方を切磋琢磨する形の練習があるからこそであろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿