2011年5月13日金曜日

しもたま柔道&闘病日記―その8―

しもたま柔道&闘病日記―その8―
たまたま先日、旅行中に祖父と同じ郷里の人たちと話す機会があり、意気投合してしまった。祖父が生まれたのは、鹿児島県のとある離島。豊かな自然。そこには、生活のためではなく闘わせるために、趣味で牛を飼う風習がある。ここの闘牛は、スペインとは違って、牛と牛とが「すもう」をとり、老若男女が懸命に応援する、とっても熱い地域だ。「血の気が多くて、(私も柔道などで)負けるのがいやなんです」というと、4人がそろいもそろって、「そりゃあそうだろう」「そうに違いない」と口々に言うのがおかしかった。いのししたまのルーツ、ここにあり!
郷里の出身者にはかつて、柔道九段の達人もいたらしい。その人は、「たのもう!」とブラジル人の水夫が、東京の講道館へ来た時、遠慮なく投げ飛ばしてしまった。相手の中に殴りかかってくる者などがいたため、そのまま乱闘となり、国際問題にまで発展してしたという。同じく血の気の多い私には、真剣に戦った彼の気持ちが痛いほど良くわかる。日本の代表として、恥ずかしくない試合をしたかったのだ。お客さんとして手加減したり負けてあげるのは、相手にも日本の柔道にも、双方に失礼なことだと思って、きっと一生懸命にやったに違いない。

話はかわって、3月に入ったときのこと。われらが道場に「滝川道場の歌」という応援歌が出来た。というより、作ってしまったというべきか。道場の先生や大会に出る選手、みんなをもっと励ますには何がいいか、いろいろ考えた挙げ句、思い付いたのが応援歌だった。この歌はわたくし、菰池 環作詞。そして、菰池 環の実父、茂光の作曲。菰池親子の合作だ。子ども達も嫌がらずに歌ってくれ、柔道の練習の合間に2度ばかり、歌の練習を行った。これで、私が柔道で頑張らなくても、滝川のために心を込めて応援できるなあと喜んでいたら、そうもいかなくなってきた。というのも、歌が完成してすぐに、先生から「試合に出てみないか」というありがたいお話があったからである。ええ、わたしが!?
念願の大人の試合である。もちろん相手は黒帯びばかり。茶帯びの私がそこに出るというのは、大国アメリカに立ち向かうイラクのようなものである。もう一つの敵は体重。今までのように、食べたいだけ食べるわけにいかず、体力を落さないよう脂肪だけを落していく。こんな体験は生まれて初めてだ。病気になってどんなに熱が出ようとも、どんよくに食べて元気になってきた私、その私が食事制限なんて出来るんかな? 未知の体験に、怖さも半分わくわくも半分。目的が出来て、柔道ばかりでなく仕事も何もかも、張り合いが出てきた。
先生の猛特訓が始まった。それまで、ゆっくりと伸びるのを見守っていらした先生が、乱取りのたびに適確なアドバイス、その後マンツーマンで指導。そんなことが日に何度もあると、たとえ頭で覚えたとしても、それを体に叩き込むのはとても難しかった。小学生なら、きっとスポンジのように吸収できるのだろうが、大人の私には、吸収に時間がかかる。練習量でカバーするしかない。「試合で惨めな思いをしないよう、あれもこれも教えておきたい」そんな先生の熱意が感じ取れた。他の子供たちの指導もあるというのに(他の子ども達も、引っ切り無しに試合があるし、先生はお忙しいのだ)、私のためにたくさん時間を割いて教えて下さるのが、ありがたかった。それまで、飛行機のエコノミー席に座ってたのが、至れり尽くせりのファーストクラスに移ってきたような、心地よさと気恥ずかしさだ。今になって、こんな年になって、わたしに、「ファーストクラス」に座る資格が、本当にあるのだろうか。「ここまでして下さっているのに、当日、変な試合は出来ない」「ここまでやって、伸びなかったら才能がなさ過ぎるんじゃないか」そんなプレッシャーもたくさん感じるけれど、今回の試合を口実に、みっちり教えてもらえるのが幸運で、こんな特訓を短期間でも経験できて、嬉しいなあと思えるのであった。この貴重な体験を、その思い出を私から奪うことは、誰にも出来はしない。これからずうっと私の宝物だ。

そんなある練習日のこと、例の、和歌山県大表の78kg級の女子高生と私が、激しく練習していて、くくっていた髪のゴムがどこかへ紛失してしまった。床にもどこにも、見当たらないのである。もしやご存じないかと先生と目を合わせたが、先生はいつもどおり、静かに練習を見守っていらっしゃるばかり。探すのを諦めようかと思ってたら、女子高生が叫ぶ。「みて
みて、たまさん。先生の頭!」見上げてみると、やわらちゃんのようなかわいいまげが、ちょこなんと先生の額の上にあるではないか。「なんや、もう気付いたか」先生は、にやっと笑って、ゴムを返された。練習中、目の端っこに、滝川先生のお姿が入っていたが、まさか先生がこっそり自分の前髪を結んでおられたとは、全く想像もつかなかった。すぐに先生の茶目っ気に気付くあたりは、女子高生、さすが保育園の頃から滝川先生と長くつきあっているだけはある。この一年間にいろいろ、滝川道場のことを知ってきたつもりではあったが、先生の未知の部分に触れた気がした。柔道も先生も、まだまだ奥が深い。
4/20の昇段試合結果は次号に続く。

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