2011年5月8日日曜日

しもたま柔道&闘病日記―その1―

その年の年賀状のタイトルは、ずばり、「柔道はじめました!」であった。この反響はすさまじく、正月早々ぶったまげたなぁとか、一番インパクトのある年賀状だったよぉとか、「お褒めの言葉」を数々頂いたものである。みなさん、どうもおおきに。
皆が口をそろえて尋ねるのは、「どうしてこの歳(31歳)になって、柔道なんや」という、素朴極まりない疑問であった。柔道といえば、小中学生の僕ちゃんが、野球もサッカーもやらない、じゃあ、柔道でもやってみるか、と始めるものと相場が決まっている。高校生から始める人もいるが、大人でいきなりというのはごく少数派であろう。なんでやねん。その問いに、これから日記でお答えしていこうと思う。
柔道をやったことのあるという人は意外にいる。しかし、子どもの頃の私には柔道のご縁はまったくといっていいほどなかった。いや、スポーツを本格的にするのは、音楽一家の我が家ではタブーだったのだ!スポーツは危険だ。怪我の元。(プロの)スポーツ選手は長生きできないと、口を酸っぱく言われて育ったしもたまき。そんな我が家では、もっぱらスポーツは見るもの趣味で楽しむもの(親子のキャッチボールや、卓球、バドミントンなど、家族の親睦を深める手段として、スポーツは位置づけられていた。実際、球技でつき指や骨折、靭帯損傷をすると、ピアノが弾けなくなるというのは事実である)。私は、集団で行う遠足も運動会も、大嫌いなまま個人プレーヤーに育ってしまった。
私がスポーツに目覚めたのは、19歳で信州に引越ししてからだ。これまでの反動のように、サッカーや山登りを始めた。美しいアルプスに登ると、遠足では苦しいだけだった山歩きがこんなに楽しいものだったのかと、ようやく気付くのである。大阪では喘息がち(公害喘息)の、ひ弱な子どもだったが、信州で数年過ごすうちに、澄んだ空気の中で私の身体は徐々に丈夫になり、2年も経つと人並みに運動できるようになっていくのであった。やがて、25歳になって関西に戻ると、遠い信州アルプスの登山が恋しくなって、この、紀峰山の会(和歌山県勤労者山岳連盟の一グループ名)の沢部(ザイルを使った沢登りを中心に活動する部。他に、岩雪部という、登攀の部、近郊の山からアルプス縦走のハイキング部もある)、に入会したのだ。しかし、ここでも、人より重い荷物を担げるでもなく、人より難しい岩を登れるでもなく、特別に「あなたは、本当に山むきだねえ」といわれたことはなかった。
ところが、そんな私に「向いてるねえ」と少しはいわれるスポーツが現われたのだ。それが「柔道」だった!去年の年末、ふざけて柔道ごっこをした時に、自分の柔道むきなずんぐりがっちり体形、ファイターな性格に目覚めてしまった。つまり、背が低く、下半身の方が重くて、重心が低いから倒されにくい。果樹園(当時、正社員歴4年)で鍛えた体幹と腕力に、サッカー(当時、学生と社会人歴10年)で鍛えた脚力。ピアノ(歴16年)で鍛えた指の力等々、あまりにも有利なことが多かった。性格はくやしがりで、やりだしたらしつこい。子ども相手でもムキになる。手を抜く事が出来ない。こつこつと地道な練習の必要な柔道むきだ。先生もおだて上手で、「小さい頃からやっていたら、今ごろは、、、」なんて言って下さり、練習が毎回楽しくて、すぐにはまってしまった。
さて、大阪の親に「これから柔道を始める」と宣言したら、身体に悪いと案の定大反対にあった。しかし、何を思ったのか、1月のある日、インターネットのメールにこんな言葉が記されていた。「環(たまき)、黒帯び買っておいたから、もう買わなくていいよ」とのたまうではないか。ちなみに、黒帯びは誰でも自由に買える。やろうと思えば、はったりで黒帯を買って巻くことも可能なのだ。ただし、すぐにばれて恥を書くに違いない。
実際には、黒帯を巻くには長い年月の鍛練が要る。小学生から始めると「少年7級」から始まって、「少年1級」まで7段階ある。そしてその上に、「中学(一般)4級」から「中学(一般)1級」まで、4段階ある。「中学(一般)2級」以上が茶帯びである。小学1年生の子どもは、この11段階を上り詰めた果てに、ようやく初段、黒帯びがまっているのだ。道場によっては、級ごとに色が変って、とてもカラフルだ。級に色があると、子ども達にとっては、岩登りのグレードのように、練習の張り合いになるそうだ。
大人から始めると、大抵の人は一般2級の昇級試験からスタートする。それで、子どもよりも比較的早く黒帯びが取れる。だが、黒帯びは、一般1級になってから、試合で10点取らないともらえない。一勝で1点。つまり、目前の1級になってからでも、初段を取るには少なくとも1年はかかる値打ちある代物なのだ。一番反対していた意外な人物に黒帯びを期待され、ますますプレッシャーを感じる私であった。

当面の私の目標は、2/17の2級昇級試験となった。よし、余裕で合格してやるぞ!と、鼻息荒く、練習励んでいた。昇級試験の会場には、道場のかわいい連れがいて、中学2年生。礼儀正しく、朗らかな女の子。お父さんが柔道4段で、教えるのが熱心だ。特に、寝技のときはきゃっきゃきゃっきゃとにぎやかで、とてもほほえましい。思春期の多くのコギャルが、「おやじ、うるせー」とお父さんを毛嫌いすると聞くが、ここのご家庭に限っては、微塵もなく、幸せそうだ。世の中のおとーさん、娘に習い事をさせるのは、柔道がいちばんでっせ。
他にも道場仲間は40人ほど。小中学生から二十歳の若者、上は60代のおじさん世代まで、年齢の幅が広く、みんなとても仲がよい。もちろん、31歳の菰池は、上から数えた方が早い年齢であった。柔道は、勝敗を決めるスポーツで、しかもうっかり叩いたりけったりしてしまう激しさがあるにもかかわらず、逆にお互いを身近に感じて、自然にいたわり合ってしまう。子ども達も、いろいろな年齢の人と出会う事で、精神的に大人で、今どきの自己中心的な子どもとは違う。一緒に練習していると、それぞれの体調や、精神状態が、手に取るように伝わってくる。それは、山で一緒に鍋を囲んだり、一緒に泊まると連帯感があるのと似ていて、道場の仲間はずうっと昔から知り合いだったような、そんな気分にさせられるから不思議だ。
子ども達といっしょに、新しい技を習いながら、やがて2/17の昇級試験の日がやってきた。その結果やいかに。つづきはまた次号にて。

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