2011年5月23日月曜日

しもたま柔道&闘病日記ーその26-

しもたま柔道&闘病日記ーその26-
前回、山と柔道をほどほどにと書いたが、柔道を完全にあきらめたわけではなかった。週に3回、相変わらず道場に行き、乱取りこそしないものの、打ち込み(技をかける練習で、野球の素振りのようなもの)をやったり、例の60代の大谷氏と形(かた)の練習をしたり、それなりに楽しんでいた。「そのうち、世界マスターズで、形の試合に一緒に出ましょう!」という、大きな夢を抱いて練習に励んでいた。
ドーンさんといえば、最後の昇段試合を4戦4勝で4ポイント獲得し、晴れて黒帯となっていた。柔道を始めてたったの1年。なんのズルも特別配慮もなく、正真正銘の10勝で手に入れた黒帯だ。ドーンさんの友達(同じく英語の先生)と4人で、温泉でくつろぎ、スペインやイタリアの手料理で、みんなで黒帯をお祝いした。
そんなあるとき、形(かた)の練習で、どうしても私の膝では出来ない動作が出てきた。その動きを除けば、後は平気なのだが、練習の度にまた、膝への不安が募るようになってきた。折りしも、某中学校との給与交渉がいちばん激しかったときで、仕事に対する未練もあまりなくなった。「これを機に、病院に行って、足でも切るかあ」とすんなり思えたのだ。さっそく、和医大に出かけた。「先生、やはり、手術を受けたいんですが。ところで、先生は今年、何人くらい、靭帯再建手術をなさったんですか?」と私は尋ねた。学校で、管理職との詰めが甘く、交渉がこじれたことにすっかり懲りていた私は、最初が肝心とばかりにきいた。しかも、今度もMDで会話を録音していたのである。我ながら、自分もすっかり擦れてしまったんだなあと妙にわびしいが、命がかかっているから真剣である。先生は、良い方だった。嫌な顔もせずこうおっしゃった。「以前はしょっちゅうおこなっていましたが、実は、この病院では人工関節ばかりで、まだ一度も行っていません。前にいた角谷整形外科に紹介状を書きましょう」。本当にいい先生である。世の中のお医者様が皆、こんな方であれば良いのにと思う。疑ってMDをとろうとしたことを、すまないと思った。
こうして、紹介状を手にした私は、3月の時点で希望していた通りの、角谷整形外科で診てもらえることになった。私の担当の岩崎先生は、外見は名探偵ポアロ(英国ドラマのほうで、アニメ版ではない)のような方で、とても明るく、私の話をよく聞き、そして、わかりやすくじっくり説明して下さった。「切ってもらうなら、この先生しかない。この先生でだめなら、誰が切ってもだめに違いない」と直感的に思った。MRIの結果は、予想通り前十字靭帯断裂であった。が、意外や意外、膝の大事なクッションである半月板もさらに内側側副靭帯(MCL)も傷めているという。この半年で悪化したのであろう。これは、一刻の猶予もならなかった。「先生、是非手術をお願いします」と私は即答した。「12月上旬までもう予定が一杯です。1215日以降なら、、、」「じゃあ、1215日にして下さい」「では家族とよく相談しておいて下さいね」。
12月15日なら、みかんの出荷ピークも終わっている。果樹園にも、前期後期の中学校にも、あまり迷惑はかからないはずだ、と思った。いざ、切ってみると、それどころではなかったが。

0 件のコメント:

コメントを投稿