2011年5月28日土曜日

しもたま柔道&闘病日記その37

もうすぐ筋力測定の日というのに私は、2kgも筋肉を落してしまったためにたいした期待もなく、のんべんだらりと過ごしていた。当日はなんの考えも無く、いつものリハビリの“のり”で出かけていった。理学療法室につくと、トレーナーや療法士の方々が、つぎつぎと「測定頑張ってね」と声をかけてくれた。私は合点が行かなかった。「なにをがんばるんですかあ?機械が測定してくれるだけなのにぃ、、、」「あなたがどれぐらいの力を出せるかを測るんですよ。汗だくになりますよ」「ええっ!!レントゲンやMRIみたいに、じっとしていたら筋肉量が出るのではないのですか?!」
私は浅はかだった。勝手に体脂肪計のようなやつをイメージしていた!アップもストレッチもそこそこに、私は歯医者さんの椅子のように周りにいろいろな器具の並んだ、ひざを曲げ伸ばしする椅子に座った。太ももの前と裏の筋力を測るというのだ。瞬発力と持久力。その頃、私が重点を置いていた筋トレは、サイドステップとかツイスト(的外れなことに太ももの左右の筋肉だ)。普段ランニングをしているから、スクワットはもういいやと、あまり力を入れてこなかったのを悔やんだが、もう遅かった。それにしても、治療とリハビリは患者からすれば、ルート地図もなくいきなり登山をするような気分だ。準備も計画もなく、行き当たりばったりの出来事ばかりだ。楽天的な人はいいけれど、私は自分の置かれている状況を知らずに動くのは苦手だ。スリルがありすぎて心臓に悪い。
結果は、予想通り、さっぱりだった。まず、太ももの前の筋肉は、とてもスポーツしている人、スポーツ復帰を目指している人のレベルではなかった。大腿部の裏になると、もっと悲惨だった。日常生活に必要な筋肉の7割ほどしかなかった。特に、手術で筋肉をはぎ取った左側が、右の半分くらいしかなかった。トレーナーの西林さんも言う。「高校生で、270%くらいはあるのに。もうちょっとあるかと思った。ははは、、、」。落ち込んでいると、理学療法士のK氏がこういうではないか。「(32歳の年齢で)そんなにあるんですか。もう、日常生活は充分できます。柔道をしないならリハビリに来る必要はありません(二度と柔道をしないなど、言った覚えはない、マスターズを目指していた私に対して、失礼であろう)」その言葉はいっそうショックだった。私は、自分が思っていた以上によっぽど素人扱いされていたのだった。私としては、スポーツリハビリが一流の角谷でわざわざ切ったつもりであった。しかし、K氏にすれば、手のかかる患者は治ったらさっさと早く通院をやめてくれたらええのに、、、」と言いたげなのだ。そんな風に言わんばかりに、「もう来なくていい」と言われても、「はいそうですか、おおきにありがとさん」とはいえない。私は「世間の普通の日常生活ばかりでなく、収穫作業や登山、サッカー、柔道、、、」の菰池 環である。ジャンプもターンも出来ないというのは、スポーツリハビリのレベルでいえば、まだまだ病人の範疇である。ここで放り出されてはたまらない。食い下がることにした。K氏ではなく、例のラテンのQ氏にだ。
Q氏に「あのう、お話があります」と、真剣な顔で近づくと、受付のおねーさんは顔が凍り付いた。しかし、正々堂々、言うべきことは言わねばならない。「私は柔道復帰が目的で、手術したのですが、その事がK氏のほうにうまく引き継ぎされていないようなんです。スポーツリハビリを受けたいのですが、、、」明るいQ氏は明るい声でこう返事してくれた。「僕のほうから、西林に伝えておきます。彼女、週に2日だけ、来てますから。今度の水曜日の夕方来てみてください」。Q氏が神様のように見えた!職場のことを根掘り葉掘りきく、無神経な人と誤解していたら、間違いだった。頼まれたら断れない、やさしい親切な人だっただけなのだ。こうしてQ氏のお陰で、スポーツリハビリが始まった。
私がまず初めにトレーナーの西林さんに組んでもらったのは、ただのジャンプだった。普段のランニングではもちろん片足で着地しているから、こんなの楽勝!と思い気や、全身汗だくになる。10cmの段差どころか、その場でちょっと飛び上がっただけで、ひざががくがく。1m以上の台から飛び降りたときのように、あまりの衝撃に骨や軟骨や筋肉が悲鳴をあげる。身体が、どの筋肉をどの順番で縮めるかを忘れてしまっているために、まともに腰や頭に振動が伝わる。足首とひざと脚の付け根3ヶ所の、ジョイント部のコンビネーションがうまくいくようになったのは、その一ヶ月後だった。とまあこんな感じで、ジャンプひとつとってもすぐには思い出せないのだ。

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